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西光寺には普化宗の虚無僧寺「普門山 一朝軒(備考参照)」の 法脈が受け継がれており、現住職の磯譲山が普化尺八 一朝軒伝法
竹(福岡県無無形文化財)の21世で、妻の磯光代が20世となる。
備考
・普門山 一朝軒
寛永年中(1624〜1643)博多の浜部にあった無住の禅寺円通寺に京都明暗寺から 托鉢 行脚にきていた一翁という普化僧が居住
して虚無僧生活に入り「円通寺 一朝軒」と称した。
その後、一空という普化僧が博多の矢倉門(現在の博多区祗園町)に一宇を建立して移り「普門山 一朝軒」と改号した。 幕末
頃の一朝軒は、境内の小堂に釈迦・達磨・ 普化・楠木正勝 の四尊像を安置し、臨済宗の聖福寺に属していたという。
明治(1868〜1912)初期の太政官布告で普化宗は禁止され、17代 磯魯伯の時代に一朝軒は廃寺となった。寺は廃寺とはなった
ものの普化尺八の活動は、一朝軒跡地の払い下げを受けて同地で18世 磯伯堂、19世 磯施行(磯敬助)と続いた。しかしながら
事業の失敗から家産を失って 苦境に陥り各地を転々とすることになった。
昭和26年(1951年)津野田露月(1875〜1958)らの尽力で新築家屋を購入して一朝軒は再興され、19世 磯施行の娘の光代が津
野田露月について普化尺八修行をして20世となった。その後、光代の夫で西光寺住職 磯譲山が21世を 継承し、一朝軒の法脈で
ある普化尺八 一朝軒伝法竹は西光寺に受け継がれた。
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